寄付先を選ぶという負担

非営利団体への寄付に関してはいろんな意見がある。なかには、社会課題解決のための投資と考える人もいる。個人的には、したい人は寄付すればいいし、したくない人はしなくていいと思う。

この数年で、社会には寄付したいという人が少なからず存在するのだということがわかってきた。ソーシャルメディア等を通じて寄付者が可視化されてきたため、そう感じるのかもしれない。

実際、自分で寄付をしてみると、自分が関心のある社会課題を選び、プレイヤーとして自分が取り組めない代わりに寄付という形で解決に取り組むNPOを支援するというのもなかなかに面白い。寄付を通じて新たに知ることも多い。

だが、寄付には課題も多い。寄付を行うための決済ツールが浸透しきっていないことや、ファンドレイジングのノウハウが十分に流通していないことも挙げられるが、一番は存在の可視化が進んでいないことだ。

NPOは限られたリソースの中で現場の仕事に取り組んでおり、外部に発信するところまで手が回らない。そのため、存在が認知されておらず、外部からはどんなNPOがいるか発見できない。

仮に、NPOが見つかったとして、投資的な単語で表現するなら「デューデリジェンス」ができない。そのNPOの活動がどういうものなのか、社会課題の解決に寄与しているのかを判断するのが難しい。

そもそも、まだ知らない社会課題というものも存在する。社会課題を知らないのに、その解決に向けて取り組む団体を支援するというのは無理だろう。

存在の可視化や活動の理解が促進されにくい中で、人々が寄付先を選ぶというのは至難の技だ。

「ポートフォリオ」で寄付をする

こうした寄付における課題の解決に取り組み始めたのが、NPO法人を始めとした非営利団体と支援者をつなげるプラットフォームサービス「Syncable」だ。「Syncable」は、新たに「ポートフォリオ寄付」の機能をリリースした。

同機能を使うと、Syncableに登録されているNPOからユーザーのお気に入りの団体を選んでポートフォリオ化し、寄付を募ることができる。集まった寄付金はポートフォリオに登録されている団体に等分配される。

決済手数料を除いて全額各団体へと入金され、掲載団体に寄付金控除対象の団体が含まれる場合、対象団体から領収書を受け取って、控除を受けることもできる。

作成したポートフォリオの用途は、「関心のある社会課題を誰かにシェアする」「収入の一部をポートフォリオに寄付する」など様々だ。Syncableは、「バースデードネーション」という新しい寄付スタイルを生み出した。

誕生日のプレゼントをねだる代わりに、選んだNPOへの寄付をお願いするという寄付と、ポートフォリオは実に相性がいい。「自分の誕生日にポートフォリオに寄付を集める」といったポートフォリオの使い方も可能だ。

Syncableは、「好きな本を選んで本棚をつくるように、応援している団体をまとめてほしい」と語っている。本棚を見ると、その人の頭の中を覗くことができる。NPOのポートフォリオからは、まとめた人の社会への関心が見えてくるだろう。

社会における透明化された存在

寄付のポートフォリオを作成するという機能を持つプラットフォームでいえば、先日寄付プラットフォーム「SOLIO(ソリオ)」が非営利団体向けの事前登録を開始している

御田寺圭さんが執筆した『矛盾社会序説 その「自由」が世界を縛る』では、「透明化された存在」について言及されている。「かわいそう」と思っておもらえる質量の多寡によって「弱者」が序列化され、その序列で下位に落ちていった人は長らく「透明化」されてきたという。

御田さんの指摘にもあるように、残念ながら社会には支援されやすい活動と、支援されにくい活動がある。支援されやすい、人に共感されやすい活動に寄付も集まりやすくなってしまう。こうした状況を解消していくことは課題解決を進めていく上では必要だ。

ピーター・シンガーは、『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ』の中で、感情によって寄付先を選ぶのではなく、もっとも効果を発揮する選択肢を選ぶべきだと述べている。理性的に寄付先を選ばなければ、共感しやすい対象にしか寄付が集まらない。

だが、こうした状況がわかっていたとしても、実践は大変だ。哲学者たちは人に理性を求めるが、実際には動物的な側面に左右されてしまいやすい。寄付における「ポートフォリオ」は、こうした課題をわずかに解消に向かわせるのではないだろうか。自分で探すのは大変だが、自分が信頼する誰かが選んだ団体に寄付するというのは選択しやすいはずだ。

寄付を通じて団体と関係ができると、少しずつ活動や課題に対する関心が増し、知識が増える。そうすれば、社会の透明化された存在にも光が当たるのではないだろうか。僕は、そんな期待を抱いた。