「何にでもなれるなら何になりたい?」

中堅社会人になりつつある旧友たちとの飲み会で、それぞれの近況が一通り共有され酔いもちょうどよくなってきた頃、友人の一人が問いかけた。

「スキルも、景気も、すべて端に置いて、何の仕事にでも就けるとしたら、何をやる?」

画家、宇宙飛行士、ロックミュージシャン、総理大臣。考えてみると、みんないろいろ出てくる。友人の一人は「地主」と答えた。不労所得で生きていきたい、と。

つまりそれは、働きたくないということなんじゃないか。食べるものにも住むところにも困らない環境で、好きな人たちと、好きなことだけをして過ごす。そんな生活が一番の理想じゃないか、という話で盛り上がった。

「仕事」とはなんだろう

話は、私が学生の頃にさかのぼる。大学1年生の頃から卒業後のキャリアのことを考え行動する、いわゆる「意識高い系」という言葉が流行していた。

一方私は、働きたくなかった。正確に言うと、社会人になりたくなかった。電車で通勤する会社員風の人たちの顔は憂鬱そうで、働き始めた先輩たちは仕事の愚痴で酒を飲むようになっていた。

何かを犠牲に金銭という対価を得て、その穴を埋めるようにオフの時間を満喫する。平日消耗した何かを、土日に取り戻す。そんな繰り返しで人生を過ごしていくことに、私は耐えられないと思った。働くことに対して、ネガティブなイメージしか浮かばなかった。

それでも、将来的には家族を持ちたいし、親に恩返しもしたい。生きていくためには働かなければならない。それならせめて、自分の気持ちや生活を犠牲にしない、やりたくないこと・共感できないことを我慢してやらない、つまり「仕事と自分が解離しない働き方」がしたいと考えるようになった。

幸いなことに、自分が共感できる仕事に就くことができて2年半が経過した。ちょうどその頃、安倍晋三首相は内閣官房に「働き方改革実現推進室」を設置し、「働き方改革」の推進を提唱していた。

その背景には、人口減少に伴う労働力の低下や、過労による自殺・病死など、複雑な日本の社会問題がある。「働き方改革実行計画」では、大きく分けて11の施策があげられている。それらを実行していくことにより、長時間労働を是正し、生産性を高め、働きたい人がいきいきと働ける社会をつくることを目指しているという。

けれど、周囲の“働き盛り”は「働きたくない」と言っている。私だって、今の仕事に運よく出会えなければ、同じことを口にしていたかもしれない。

本当に誰もがいきいきと働ける社会を実現するには、何をどう実行していけば良いのだろうか。

10年前から「働き方改革」を進める先進企業

そんな問いに対し、ソフトウェア会社の「サイボウズ」が謳うのは「100人100通りの働き方」だ。同社は、最大6年間の育児・介護休暇制度、在宅勤務制度、子連れ出勤、複業の奨励など、ユニークな人事制度で注目を集めている。

また、2017年には新聞広告「働き方改革に関するお詫び」や、アニメーションムービー「働き方改革、楽しくないのはなぜだろう。」を公開。いずれも「働き方改革」が、「女性活躍」や「ノー残業」など、画一的な制度の実施にとどまっている現状に対し、多様性を重んじる同社のスタンスを明確に示している。

2015年に出版された『チームのことだけ考えた。』は、同社の青野慶久社長が、社員一人ひとりにとって最適な働き方を実現する同社の根底にある考えを、試行錯誤のストーリーと共に紐解いた一冊だ。

私は大きなショックを受けていた。社長を引き受けたのは、このような状況を作り出すためではない。健全に事業成長を続ける会社を作りたかったのだ。(中略)26歳で起業し、3年後に上場。自分に自信があった。自分の実力だけでなく、運の強さにも自信があった。しかし、それは勘違いだった。私は経営がまったくできない、自信過剰な若造だった。特別な運も持ち合わせていなかった。上場企業の社長どころか、数人の部下を持つことすら危ういスキルしか持っていなかった。(p.39 第一章 多様化前のこと)

「働き方改革優良企業」として注目される同社だが、2005年時点では離職率が28%という高さだった。毎日残業、土日も出勤、社員同士の関係は険悪で、毎週のように仲間が辞めていく。

青野氏はそんな状況を立て直すため、命を懸ける思いで真剣に会社と向き合ってきたという。平日休日問わずとにかく働き、1分1秒でも人より長く会社で働いているという現実だけが、気休めとなっていた。

なぜ実現できるのか

「サイボウズみたいにできたらいいな。とは言え、うちの会社では難しいよね…」

そんなふうに感じる人は少なくないだろう。でも、本当にそうだろうか?施策の具体的な内容は本書を読んでもらうとして、ここでは、一見「うちでは無理だ」と思われるほど特異な施策が、なぜ実現できるのかを考えてみたい。

本書を読んで私は、3つの要因があると感じた。

1.公明正大という文化

公明正大とは、「公」に「明」らかになったとき、「正」しいと、「大」きな声で言えること。(中略)組織に多様性が増せば増すほど、互いの背景や経緯を理解し合うのが難しくなる。事実を嘘偽りなく情報交換できるようにしないと、互いの信頼関係が崩れ、多様性がかえって仇になる。(p.89 第二章 共通の理想を探す)

出張旅費を精算するとき、在宅勤務の勤務時間を報告するとき、遅刻の理由を説明するとき…。日々の仕事をしていくうえで、小さな嘘をつく機会はたくさんあふれている。働く場所や時間が多様になった組織では、毎日同じ空間に集い顔を合わせている組織と比べ、お互いを信頼し合える関係性を築くことが、より一層重要になる。「公明正大」は、多様な人たちが信頼し合いながら働くために、欠かすことのできない考え方だと思う。

2.質問責任と説明責任というルール

質問責任とは、自分が気になったことを質問する責任であり、自分の理想を伝える責任であり、その結果、自分の理想が叶わなかったとしても受け入れる責任である。説明責任とは、自分が行った意思決定について説明する責任であり、他のメンバーからの質問に答える責任であり、その結果、批判があっても批判を受け入れる責任である。(p.93 第二章 共通の理想を探す)

多様性のある組織は一見優しいように見えて、一人ひとりが「自分はどうしたいのか?」という考えを持たなければならないという点で、とても厳しいとも捉えられる。多様な社員がいるということは、自分の考えと同じメンバーが多いとは限らないということ。自分の希望を実現するためには、相手に伝わる言葉で表現し、理解を得る必要がある。サイボウズ社内にある「質問責任」と「説明責任」というルールが、社員の自立を後押ししている。

3.みんなが心から共感できるゴール

「人間は理想に向かって行動する」(中略)この法則に基づいて考えれば、私が次にやるべきことは明確だ。このサイボウズという組織における、全社共通で最高最大の理想を決めることである。(p.53 第二章 共通の理想を探す)

青野氏が立てた目標は「世界で一番使われるグループウェア・メーカーになる」ことだった。どんな規模の企業も、企業ではない集まりでも。世界中のあらゆるチームがサイボウズ社のグループウェアを活用し、存分にチームワークを発揮する社会をつくる。すべての意思決定は、これに基づいてなされる。すべての社員が心から共感できる理想を掲げ、意思決定の軸が明確でシンプルになったことで、多様な人の集まりでも一体感を持って目指していくことができるようになる。

一連の施策を経て、サイボウズは離職率は2005年の28%から2013年には4%を切るように。人が辞めなくなったために、採用コストや教育コストをかけずに済むようにもなったという。

一人ひとりがより良い働き方を実現するために

一人ひとりにとって「仕事と自分が解離しない働き方」「自分らしい働き方」「自分に合った働き方」を実現できれば、いきいきと持続的に働き続けられる。

「そんなのうちでは無理だ」と悩んでいるなら、「公明正大」や「質問責任と説明責任」、「共感できるゴールの設定」といった点から、社内のカルチャーを見直してみると、何かヒントが見つかるかもしれない。

単に制度を充実させるだけでなく、個人と仕事の関係や、会社組織のあり方について、改めて考える。そんな「働き方改革」の議論が活発になることを願っている。