秋田県北部の内陸に入った山深い里、上小阿仁村(かみこあにむら)では、毎年夏に芸術祭「かみこあにプロジェクト」がひらかれています。
上小阿仁村は日本で最も少子高齢化が進む秋田県の中で、さらに最も少子高齢化、過疎化が進む人口2,300人弱の小さな村です。マタギと呼ばれる、主に熊を獲物として集団で狩猟をする生業の人々が開いた土地として知られています。
かみこあにプロジェクトは、この野趣溢れるありのままの里山の姿を、現代アートを通して発信する芸術祭です。6年目を迎えた今年は、27名のアーティストが参加し、棚田や廃校を含む2つの集落にある会場に作品が展示され、棚田での伝統芸能の舞台や音楽室でのコンサートが開かれ、県内外から多数の来場がありました。
このプロジェクト期間中の8/25-27、村とハバタクの協働でオリジナルのアートプログラムを企画しました。迫り来る山々に囲まれた環境の中、現代アート作品の鑑賞体験を参加者同士で対話し、アーティストや村民と交流します。
2泊3日かけてどっぷりと非日常に浸るうちに、自分の中の何が反応するのか、何を感知するのかを観察し、それをまた自らも表現し、アートが生きる力そのものであることを、このプログラムを通して参加した方に感じていただけたらと考えました。また、より安心した中で対話を進めてほしいと感じ、今回は対象を女性限定としたのも、今回の場づくりの特徴の一つでした。
7月初旬に下見のため村を訪れたときにまず感じたことは、「心を開放して癒される大自然!」というよりも、「荒々しい山の威力に飲み込まれそう!」ということでした。自分はどう生きるか?生き延びるか?そこに湧き上がるもの、アートの源泉を感じ、タイトルに「生還せよ!」と付けました。楽しい、おもしろいのもっと奥へ、みんなで手をつないで分け入ってみたい!そして生還したときに見える景色はどのようなものだろう…?!
3日間を過ごしてみて、いくつもの発見がありました。
まず今回のプログラムの核となるアート作品の鑑賞については、あまり馴染みのない参加者が多かったため、一つの作品をじっくりと観察し、さらにそれを複数人で自由に感想を話すことが大きな刺激になりました。様々な背景、感性や視点をもった他者の存在により、その作品をより奥行きをもって鑑賞することができたようです。
アートディレクターからの解説も受けて、さらに村と作品、村民とアーティストとの関係など、制作の背景への理解も深めることもできました。やはりというべきか、複数人で話した作品は印象に残り、一人で見た作品も様々な角度から見ようと試みるなど、その後の鑑賞体験にも影響を与えたようです。
美術館での鑑賞と違い、普通の声量で話すことができるのも、芸術祭の良さかもしれません。作品が土地や会場の佇まいや成り立ちからインスパイアされて制作されているため、一体としての規模が大きく広がりを感じました。屋外に展示されたものは空、山、田畑を借景をしているため、時間帯、天気、気温、湿度、光やその時の自分の身体の状態など、自然に左右する要素が大きければ大きいほど、面白味があると感じました。
泊りがけのプログラムで長い時間を共有するため、時間が経つごとに参加者同士や村と自分たちとの関係性が深まり、変化していく様が感じられました。プログラムでは鑑賞中の対話の他にも、「朝セッション」「夕セッション」と題して、今の考えや思いの共有の時間をもったのですが、その中で現れてくるものがありました。
移動中に歩きながら、食事を共にしながら、ぽつりぽつりと、たった今感じていること、日常をふりかえってみてどうか、これまでとこれからの人生のことなど、話す内容もどんどんと濃く深まっていきました。複数人がいることで、話す相手によって話す内容の変化や互いの影響なども感じられました。
作品の鑑賞においても時間の経過や関係性の変化は影響し、1日目に見た作品を最終日の3日目にもう一度見に行ったときの感じ方の違いに全員がハッとなり、泊りがけならではの貴重な体験でした。
美術作品の鑑賞だけではなく、フルーツほおずき狩り体験、だまこ鍋づくり体験、アーティスト主催の消しゴムはんこを使った表現ワークショップ、バーベキューなど多数のアクティビティを経て振り返ってみれば、作品だけではなく、このプロジェクトを通して出会った人々やその背景にある上小阿仁村という土地と強く擦れたというシェアがありました。
未知との出会いはいつもワクワクな刺激だけとは限らない。わからなさ、わかりあえなさ、戸惑い、無力感などの不快感を伴うことからはじまるのかもしれない。それを楽しいふりをして誤魔化さず、「それは何なのか?」「その感覚や感情は自分の中のどこからくるのか?」「それに対して自分はどのような態度でいるのだろう?」ということも、時間の制約なく丁寧に聴き合う時間は、非日常ならではの得難いものとなりました。
上小阿仁村での体験は、非日常への振れ幅が大きかったため、東京の自宅に帰っても気持ちが高ぶっていてなかなか眠つけなかったのですが、朝目が覚めると「世界が調った」という感覚があり、帰ってくる安心できる場所があることや日常を営むということのありがたさを再確認しました。
様々な特色や規模の芸術祭が各地で開かれる群雄割拠の昨今、かみこあにプロジェクトはあまり有名ではないのですが、逆にこれほどローカルで素朴さに溢れた芸術祭もないと思われ、芸術祭や作品をきっかけに出会う人が、その土地とのつながりをつくってくれ、ここでしかできない体験ができることは間違いありません。
もしかしたら生きている間に知ることさえなかったこの小さな村と、そこで日々と営む人々と、このように特別な関わりが持てたことは参加された方々にとっても大きな体験となったようです。体験をより深いものにするためには、やはり「場」として設定することが大切。また来年以降もこのような機会があることを期待したいと思います。
Text: 舟之川聖子 Photo: 福永竜也