Astronaut
http://astronaut.io/

敵を撃ちまくるマクリー、ご機嫌なBGMが流れる車、手を繋いで階段を登る親子、自慢の青いバイク、檻の中のハムスター。次々と流れては消える、PV0の動画。これだけ美しいウェブサイトは久しぶりに見た。

このウェブサイトがどういったものなのか、それは見てもらうのがいちばんではあるが、とりあえずはWIREDによる紹介を借りることにしよう。

“「Astronaut.io」は、低周回軌道から見た地球の姿を背景に、ランダムな映像を延々と流しているサイトだ。

高校のウェイトリフティング競技の映像の次にテキサスの誕生日パーティの様子が流れ、その次にロシア人男性がバイクを修理している映像が流れる。どんな映像が流れるかは予想がつかないが、映像には何かしら共通しているものがある。

ある特定の基準を満たす映像を探すアルゴリズムを作成したのは、アンドリュー・ウォンとジェームズ・トンプソンだ。その基準とは、1週間以内にアップロードされ、タイトルに一般的なファイル名(IMG、MOV WMV)が含まれ、視聴回数がゼロのものだ。 – 「閲覧数ゼロのYouTube動画」と「宇宙」の織りなすファンタジー | WIRED

このウェブサイトは、宇宙から見た、地球の、世界の断片を見事にとらえている。「これが世界なのだ」と言わんばかりに。そう、この断片こそが世界なのだ。

インターネットの世界にはふわふわと漂う浮遊物がある。これはスペースデブリ(宇宙ごみ)になぞらえて、ネットデブリと呼ばれている。それはしばしば検索エンジンの邪魔をする。だからデブリと呼ばれる。

しかしこのウェブサイトのコンテンツは違う。何せ閲覧数がゼロなのだ。間違って辿り着いてしまった人すらいない。そういった意味で、デブリの定義からは外れる。ではこれは一体何なのか。

彼らは人々の関心からも、そしてアルゴリズムからも取り残された人々である。彼らはけして人に知られることがない。人に知られることのないものは存在しないも同然である。故に何者でもない。

しかし確実にそこにある。何者かの手によって、何らかの意思で、YouTubeにアップされている。その意思が一体何なのか、知る術は一切ない。

これを一体何と呼べばいいのだろうか。実は情報アーキテクチャの業界にはピッタリの言葉がある。それは、「データ」である。

エクスペリエンスデザイナーであるネイサン・シェドロフによると「データ」は「インフォメーション(In-Form)」の前段階のものである。

おそらく情報建築家のリチャード・ワーマンも同様に語るだろう。「それは情報ではない」と。まだ何者でもないが、確実にそこにあるもの。それが「データ」である。

このウェブサイトの「データ」は、完全に社会から切り離されたはずの存在だった。けして人に知られることのない、ただ海を漂う手紙のような存在だった。

“瓶に封じ込められた手紙は、瓶を見つけた者へあてて書かれているのだ。

見つけたのは、わたしだ。つまり、このわたしこそ秘められた名宛人なのである。”

– オシップ・マンデリシュターム『対話者について』

しかし、このウェブサイトはその手紙を突然現前化させる。そしてその時の視聴者を強制的に宛先に任命する。

それによってその「データ」は、視聴者によって何らかの意味を与えられ、「インフォメーション」となり、社会からの圧倒的な断絶を免れる。

この「データ」は、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンの言葉を借りれば、単なる「瓦礫」だったはずだった。しかし我々はその「瓦礫」にすら意味を付与することができるのだ。

この美しいウェブサイトは、教えてくれる。「誰にも知られることのないデータも、宇宙から見れば、地球の輝きを構成する確かな光なのだ。」と。

人々の関心は残酷である。それを支援するアルゴリズムもまた残酷である。検索エンジンは興味のないものを見せてくれない。

営業的に命名されたコンテンツだけが関心と検索エンジンに選ばれる。「DSC 1234」や「IMG 4321」は誰にも届かない。しかし、「DSC 1234」や「IMG 4321」といった瓦礫の織りなすコンステレーションこそが世界なのだ。

そして瓦礫の発見は、テクノロジーにしかできない。瓦礫(PV0)という証明が、テクノロジーにしかできないからだ。

Astronaut
http://astronaut.io/