「居酒屋で野球と政治と宗教の話はするな」
どこの誰が言ったかはわからない常套句が、しかし時折脳裏を過ぎる。
居酒屋や学校、職場といったリアルのコミュニティだけでなく、SNSやブログ上であっても、政治や宗教の話はなかなかにしづらい…ような気がするのだ(野球についてはそんなことない気がしているが)。
話す場もないから知らなくていいよな、と思いつつ、選挙のたび「このままじゃいけないな」という後ろめたさが募っていく。
しかし、自分と政治に接点を見出せないまま悶々と過ごす私に、一つの可能性を見せてくれたドキュメンタリーがある。
それが、アメリカ議会に挑む新人女性候補者を追った『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』だ。
政治参加における根深い男女格差
日本でジェンダーギャップが語られる時、多くの場合は、「欧米」という大きな枠組みが引き合いに出される。しかし、世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数で1(完全平等)を叩き出す国は未だかつて存在しない。
ジェンダーギャップ指数は、経済参加、教育、保健、政治参加の四つの分野に分割し、様々な統計データをもとに算出される指数だ。
各国のジェンダーギャップ指数を分野ごとに眺めていると、「欧米」という巨大な主語の中にも多様多種の「不平等」があり、各地域ごとに抱えている課題は異なることがわかる。
そうした中、万国共通でジェンダーギャップ指数が低くなっているのが、政治参加の分野。
そして、政治における女性進出に遅れをとる国の中で一際目立つ存在が、アメリカだ。
2018年の時点で、アメリカのジェンダーギャップ指数は、経済参加、教育、保健の分野において、それぞれ0.782、0.998、0.976と比較的高いスコアを記録している。しかし、政治参加のスコアを見ると、わずか0.125。順位で見ても世界98位と政治参加における女性進出のみが顕著に遅れているのだ(ちなみに日本の政治参加のスコアは0.032、世界144位である)。
アメリカで女性の選挙権が認められたのは1920年。それからおよそ100年が経とうとしているが、議会に参加する議員の8割は男性だ。
女性と男性の経済格差が縮まりつつあるにも関わらず、政治参加には根強く格差が存在する。
『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』は、そんな歪な構造を真っ向から映し出したドキュメンタリーなのだ。
資金、民族、ジェンダー。既得権益に苦戦する女性候補者たち
一般市民には一般市民である代弁者が必要だ。
『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』
今作で候補者たちが戦うのは、2018年に行われた中間選挙に向け、同年開催された民主党予備選挙。
このドキュメンタリーの中心人物となるのは、ニューヨーク州での議席を狙う、元バーテンダーのアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏だ。撮影時、彼女は20代だった。
ニューヨーク、ブロンクス区のプエルトリコ人家庭で育ったコルテス氏は、大学生の時に父親を亡くした。そのため、大学卒業後はスクールバスの運転手や掃除婦の仕事をする母親を支えるべく、彼女は地元に戻り、ウェイトレスやバーテンダーの仕事で生活を凌いでいた。
労働階級の家庭で育ち、自らも労働者として働く彼女は、選挙に出馬した理由をこう語る。
「誰もやりたがらないから」
そして、このドキュメンタリーでは、コルテス氏以外にも「誰もやりたがらない」ことに立ち向かう女性たちが登場する。
それがウェストヴァージニア州で育ったポーラ・ジーン・スウェアレンジン氏、ミズーリ州から出馬したアフリカ系のコーリ・ブッシュ氏、そして、ネバダ州から立候補したエイミー・ヴィレラ氏の3人。
いずれも地元から出馬する労働階級の女性たちだ。
対抗馬となるのはそれぞれ長年の議員経験を持ち、地元企業から献金を受ける重鎮たち。彼らの大半が、白人で富裕層の男性だった。
資金、知名度、経験…。あらゆる要素に長けた経験者たちを相手どった彼女たちの選挙は、劣勢を余儀なくされた。
街中で演説しても、通行人に「知らない」と言われ、男性支援者からは「ビッチになれ」という時代錯誤なアドバイスを受けたという。
しかし、彼女たちには既得権益を貪る候補者たちにはない武器があった。それが、「共感」だ。
対話を重視した草の根運動で、1人でも議会に送りこむ
新人候補の彼女たちが訴える政策は、医療保険の拡充や銃規制が中心だ。いずれの政策も、その根源には、彼女たちの原体験がある。
例えば、鉱山の街で育ったスウェアレンジン氏は、大企業の収益のため、地元の山が切り崩される様や、汚染された環境の中で生活、労働した結果、ガンに苦しむ人々を見てきた。
例えば、看護師だったブッシュ氏は、地元で発生した警官が丸腰の黒人の少年を射殺するという凄惨な事件(マイケル・ブラウン射殺事件)を目の前にし、その後発生した暴動による怪我人の救助を行う中で、銃が生み出す悲劇を実感しやるせない思いにかられていた。
例えば、シングルマザーのヴィレラ氏は、保険に未加入だったために娘のシャリーンが急病で倒れた時に医師に検査を拒否された。その後、シャリーンは医療を施されることなく合併症によって22歳で亡くなった。
政治を変えなくてはならないという強い思いと理由を持つ彼女たちがとった戦略が、自身の有権者に直接訴えかける「草の根運動」だ。
彼女たちは、講演やラジオに出向き、集会を開き、時には直接有権者の家に訪問し、有権者に地域が抱える課題や自分が目指す変革を地道に誠実に伝えることで強大な敵に立ち向かった。
そして4人は他の「草の根運動」をする候補者たちとともに、互いに励まし合い、支え合った。
たった一人でもいい。自分たち《労働階級の女性たち》の中から政治のリーダーを生み出すために。
私たちの中から1人を議会に送り込むために、100人が出馬するしかないのが現実。
『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』
たった一票、されど一票
参政権を得てからはや6年。その間、私は政治についてなんら知ろうともせず、選挙のたび、適当な候補者の名前を用紙に書き、そのくせ、気に入らない制度や政策については文句を垂れて生きてきた。
ジェンダーギャップがなかなか埋まらないことも、賃金が低いことも、子供が育てにくいことも、消費税が増税されることも、全部誰かの何かのせいにして、自分自身は何も行動していなかった。
だからこそ、このドキュメンタリーで映し出された、生身で等身大の女性たちの姿に襟を正された。
政治について考え、他者と対話や議論を行って、投票に行く、というシンプルな試みを、まずは自分でやってみること。これが私がやるべき“行動”だ。
日本の国政選挙における最新(平成29年度)の投票率は、全体で53.6%、20代では、わずか33.85%。20代の3人に2人は選挙に行っていないという計算だ。
政治を知ることも、選挙に行くことも、確かに億劫だし、誰かの一票が社会を変えられる確率は非常に少ないだろう。
しかし、その一票を投じなければ、私たちが政治を通じ、社会を変えられる確率は0になる。
今作で民主党予備選挙に勝ち抜き、のちに下院議員となったコルテス氏は、ツイッターで以下のように語った。
At 22, I was working w/ children + communities.
At 25, I was waitressing to support my family.
At 28, I won my primary for Congress. I didn’t have health insurance.
Today I turn 29.
You’re never too late, too early, or too imperfect to care for yourself or pursue your dreams.
— Alexandria Ocasio-Cortez (@AOC) October 13, 2018
22歳のとき、私は子どもたちと地域社会のために活動していました。
25歳のとき、家族の生活を支えるために、ウェイトレスとして働いていました。
28歳のとき、私は予備選挙に勝ちましたが、健康保険に入っていませんでした。
そして今日、29歳になりました。
自分のために生きることに遅すぎることも、早すぎることも、ありません。いつだって、誰だって、夢を追い求めることができるのです。
アレクサンドリア・オカシオ=コルテス公式Twitter(大藤訳)
コルテス氏が語るように、行動を起こすのに遅すぎることは無いのだ。
「草の根運動」の候補者たちが、たった1人を議会に送るために、長く辛い選挙戦を諦めなかったように、私も政治を語ること、そして、たったの一票を投じ続けることを諦めないでいよう、と誓った。