「近しい夫婦の仲がどうもうまくいっていないと、数年前から何となく心配していました。最近になって、やっと『不妊治療が辛く、家庭でのコミュニケーションが上手くいっていないらしい』と妻を介して初めて聞いたんです。彼らが不妊治療でいかに大変な思いをしてきたか。私は妻に聞くまで、ずっと知らなかったんです」

市民参加型のソーシャルデザインプロジェクトを多数手がける「issue+design」が、10周年記念展示の一環として開催したトークセッション「不妊治療のためにデザインは何が可能か」の冒頭、issue+design広報の小菅隆太氏が自身の経験を語った。

国立社会保障・人口問題研究所が実施した「第15回出生動向調査(2015年)」によれば、結婚15~19年の夫婦の29.3%が不妊を心配した経験があり、15.6%が検査や治療の経験があり、その割合は上昇傾向にあるという。身近な人が実は治療を経験している、ということが増えていくのであれば、「何となく話しづらい」と避けるのではなく、オープンに話し合う場を設計できないものだろうか。

そんな想いで企画された本トークセッションには、issue+design代表の筧裕介氏と「亀田総合病院」生殖医療科部長の川井清考氏が登壇。共に不妊にまつわる調査やプロジェクトに関わり、日頃から交流のある二人の話の冒頭では、デザインと医療それぞれの領域から、不妊にまつわる課題との向き合い方が共有された。

子どもを望む夫婦の願いが叶う社会へ

「不妊治療」というテーマに関連して、筧氏は島根県の海士町で実施した「日本の母子手帳を変えよう」プロジェクトを紹介する。

筧氏「従来の母子健康手帳は「安全に産む」という目的に特化しており、現代のように多様な子育て環境を踏まえた情報が載っていなかったという。プロジェクトで調査を行ったところ、読みづらさや使い勝手の悪さから、ほとんどのお母さんたちが「母子手帳の内容を読んでいない」と回答した」

こうした状況を踏まえ、同プロジェクトでは3つのコンセプトを軸に、新たな母子手帳を作り上げていった。

筧氏「1つ目は、必要な情報をちゃんと読んでもらえるようなデザイン。2つ目は、父親の参加を前提とした内容。3つ目は、身体の健康だけではなく、精神的な健康に必要な情報の追加です。いずれも現代の子育て環境を考慮して必要であると判断しました。ありがたいことに現在200もの自治体でこの新しい母子手帳が導入されています」

筧氏が大切にしているのは少数の専門家ではなく、「個の力の掛け合わせ」による課題解決だ。母子手帳をつくる際にも、看護を学んでいる学生さんから、建築やデザインなど、多様な領域の人が参加したという。

筧氏「あらゆる地域課題を解決するには、決して一人で取り組むのではなく、デザイナーも行政も企業も手を取り合う必要があります。集合知や創造性の掛け合わせから、解決への糸口が見つかるはずだと考えています」

今回のテーマについて、筧氏はまず「『子供がほしいけど授かっていない人』の課題に取り組む必要がある」と語る。自身の著書『人口減少×デザイン』から具体的なデータを紹介した。

筧氏「20歳から44歳の女性1万人に、『何人子どもがほしいか』と『実際何人授かったのか』の2つの質問に回答してもらいました。すると、希望と実際の子どもの数が同じ人は半数、『2人ほしかったが1人』が2割弱、『3人ほしかったが2人」』が4分の1、残りが『ほしいけど産むことができない』人たちでした」

こうした「ほしいけど産めていない」人たちが「不妊治療」に取り組む上では、どのような課題があるのだろうか。筧氏は聞き取り調査をもとに、課題を以下の4つに分類する。

・時間の悩み
不妊治療をいつ始め、いつ辞めるべきか
・お金と仕事の悩み
仕事と両立ができるの、どのくらいお金がかかるのかわからない
・人間関係の悩み
相談できる相手がいない、身近な人に話しづらい
・知識・情報の悩み
どのような病院を選べばいいのかわからない

筧氏は「子供を産むことを望んでいる夫婦が妊娠・出産しやすい環境を実現するために、彼らの望みが叶う社会」を実現したいと強く語り、プレゼンを締めくくった。

不妊治療の“わからない”を解消するために

続いて、亀田総合病院の生殖医療科部長の川井清考氏が現場で不妊治療に取り組む立場から不妊治療の課題や、自身の取り組みについて語った。

川井氏の勤務する医療法人鉄蕉会では、亀田総合病院ARTセンター、亀田IVFクリニック幕張の2箇所で不妊治療に取り組んでいます。

そもそも「不妊治療」とはどのようなものなのか。川井氏が基本的な流れと特徴について解説する。

川井氏「不妊治療を始める場合、まずは不妊の原因を知るためにいくつかの検査がが必要になりますが、通常2、3ヶ月、急いでも1ヶ月はかかります。生理中のホルモン検査や排卵前後の検査など、生理周期に応じて検査をしなければいけないためです」

検査後は男女ともに原因があれば治療を行います。原因がなくても妊娠に至らないければ、排卵日に合わせてを子宮に注入する「人工授精」にステップアップします。1回あたりのの妊娠する確率は平均で7〜10パーセント前後、6回くらいで妊娠率は頭打ちになります。

人工授精でも妊娠に至らなかった場合は、卵巣を刺激し採取した卵子と精子を受精させ、体外培養し発育した胚を子宮に戻す「体外受精-胚移植」に進みます。体外受精は人工授精に比べ、治療にかかる時間や金銭的な負担も大きくなる。

川井氏「人工授精はその周期にかかる費用は2-3万円程度。体外受精は2、3ヶ月で施設より異なりますがおよそ70万くらいかかります。

また卵子を取り出せるタイミングである排卵は月に1回、排卵障害がない方でも年間12回しかありません。流産を挟むと治療は3ヶ月ほど中断してしまいます。そのうえ現代の体外受精ではいくら体外受精を行っても女性年齢が45歳を超えると1回の採卵あたりの分娩までいける確率は1%前後となってきます。つまり年齢の限界です。

こうした金銭的な負担や時間的な制限についてを私たち医者がわかりやすく伝えられているのか。それらが曖昧なまま治療に望んでいる患者さんがいるのではという課題を抱いていました」

そう考えた川井氏たちは採卵~体外受精~胚移植について、患者さんにも理解しやすい動画を作成した。患者さんが最後まで集中して見られるよう、3分前後の長さになるよう意識したという。その動画がこちらだ。


体外受精移植の動画も公開されている

また、川井氏は自身や周囲に「興味を持ってもらえる」よう、医療の外の専門家とも積極的にコラボレーションを行なっている。「卵が受精する瞬間」をモチーフにアーティストのSatoshi Itasaka氏が制作したオブジェもその一つ。実際に鴨川市にある亀田クリニックにも飾られているそうだ。

不妊治療にまつわる課題を解く上で、川井氏は「1つの考えに固執しないで興味を持つ」姿勢を意識しているという。

川井氏「同じ分野で話をしていると、少しずつ視野が狭まってしまう。一見難しそうで複雑なトピックこそ、多様な人と話し合うことで、より良い解決策が導けるのではないかと思っています」

多様な人間が関わってこのイシューに関して話すべき、というのは筧氏の発言と重なる。

“不妊治療”の疑問をオープンに語らう

二人のプレゼンの後は、参加者が不妊にまつわるワークショップを実施。以下のテーマについて参加者が対話を行なった。

望む女性が妊娠出産しやすい環境のために、子どもが欲しい夫婦に望みが叶う社会のために私たちにできることは何でしょうか?

まずは個人で「不妊治療に関して気になっていること」と「誰かに役立ちそうな自分のスキルや性格」を記入する。

その後は先ほど筧氏の挙げた「時間の悩み」「お金と仕事の悩み」「人間関係の悩み」「知識・情報の悩み」ごとにグループに分かれ、意見を交わした。

和気あいあいとした雰囲気の話し合いの後は、何人かが話し合った内容を全体に向けて共有してくれた。

実際に不妊治療を体験した男性は「病院に行って治療についての知識は得られるが、治療費については別のところで情報収集が必要だった」経験を語る。

それを踏まえ「一つの窓口で治療内容やかかる時間、治療費など、まとめて教えてくれる場」が必要なのではと提案した。

「病院で精子をチェックするのが恥ずかしかった」と振り返る不妊治療経験者の男性は、話し合いのなかで簡単な検査キットがあると教えてもらったという。まずは気軽なきっかけが用意されているだけでも、夫婦のコミュニケーションが変わるのではと問いかけた。

夫婦間のコミュニケーションについては、女性から「言葉で直接的に伝えづらいからこそ、絵や図を使って伝えるためのツールがあれば伝えやすくなるかもしれない」というアイディアも挙がった。

また「いつ始めるか」を早い時期に話し合うためにも、若い頃から男女問わず、学校での教育や親子で学べるアプリなどを用いて、不妊について知っておくべきではという意見に、参加者たちは大きく頷いていた。

話し合いで挙がった多様な意見を踏まえ、最後に川井氏が目指したい不妊治療のあり方について希望を込めて語った。

川井氏「アプリのようなもので気軽に不妊に関する知識に触れられるようになれば、不妊治療が決して触れづらいトピックではなくなるはず。誰もが当たり前のように考えることだと認識され、ためらわずに必要な治療を行える社会にしていきたい」

日常のなかで不妊治療について耳にする機会は少ない。筆者もどこかで「まだ自分には関係ない」と思っていたのかもしれない。正直このイベントで初めて知ったことが多々あった。

どのような機会があれば知るきっかけが得られるのか。そのヒントはきっと今回のイベントの対話の場にあるだろう。性別も年齢も関係なく、「何ができるのか」を話し合う。課題の解決に向けて手を取り合い、前に進むための対話の場は、あたたかい空気で満たされていた。

こうした開けた対話の場を通して、誰もが「不妊治療」に対する知識を自然と身につけ、いつか大切な人と話し合うための準備ができる。それが当たり前になったとき、私たちは「望む女性が妊娠出産しやすい環境のために、子どもが欲しい夫婦に望みが叶う社会」の実現に向けて大きく近づけるはずだ。

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